さかもとのブログ

つらつらと

勝田全国マラソンに出場しました

前回のエントリで書きましたが、1月29日に勝田全国マラソン、というフルマラソンに参加しました。当日まで知らなかったのですが、今回で60回だそうです。老舗の大会ですね。
今回の目標は二つ

  • ”完走”(最後まで走りきること)
  • 4時間ぎり

でした。
結果は、”完走”できず、4時間切れず、4時間3分でした。くそぉ...。
原因はわかっていて、単純に練習不足です。フルマラソンをなめてました。
LSD(麻薬じゃないですよ)を一度もやらずにフルに出たのがまずかった。言い訳をすると、12月の終わりに左足の親指の付け根を痛めてレース1週間前まで走れなかった、ということもあります。前回は左膝を痛めてから無理に走って、左膝が崩壊して、それでフルマラソンを走ったので、同じ事を繰り返さないよう、しっかりと痛みを取って、痛くなければ出ようと思いました。
正直棄権も考えていましたが、レースの前の週の土曜日に1時間ほど走ってみると、痛みはなくなっていて、痛くないなら出ないとな、ということで練習不足を感じつつ、レースに出ました。
ハーフぐらいまではピンクの上着を着たポニーテールお姉さんにそおっと後ろからついて、5分40秒/kmぐらいで走れていて、特に苦しくもなく、「お、これなら3時間40分ぐらいいけそう?」と思っていました。ところが25kmあたりから脚が動かなくなり、お姉さんに置いていかれ、30kmあたりから両脚の太腿の内側がぷるぷるしだして、「攣りそうだな」と思っていたら、次に左ふくらはぎにきて、攣りました。左ふくらはぎ。そこからはもうぼろぼろで、とぼとぼ歩いて、よくなったら走り出して脚が攣る...の繰り返しでした。ひどいときは左足の[甲、ふくらはぎ、膝外側、ふともも]が同時に攣りました。同時に攣ると、脚がおかしな形になります。「脚がこんな形になるのか!」と思って、ちょっと笑ってしまいました。笑ったけれど、とてつもなくつらいです。左脚がその状態になったときは33kmぐらい。あと10km弱あります。この脚を抱えてあと10km...と思い、小絶望に襲われました。リタイヤしよっかなぁ...とも思いました。でもそれだけはできず、今にも再び痙攣しそうな脚を抱え、惨めな思いで、そこからはしばらく歩きました。いろんな人にどんどん抜かれて、なんでみなさんこんなに走れるの?不思議...なんてことも思いました。
37kmぐらいからようやく痙攣が治まってきました。時間を見ると残り30分。がんばれば4時間は切れる!と思って、走りました。40kmを過ぎてからは、「これはいけそう」と思ったのですが...最後500mぐらいで再び痙攣。「もうちょっとだから待って!」と泣きそうになりながら脚に懇願したのですがダメでした。再びとぼとぼと歩いて、残り200mぐらいから走り出してゴール。ほんとにつらかった。世の中にこんなにつらいことはあるのか、と思うほどつらかった。それは前回も思ったけれど。

いろいろと反省点があります。

  • 練習不足
  • 水分補給の失敗
  • 脚に水をかけた

など。
脚が動かなくなったのは単純な練習不足だと思うのですが、脚が攣った直接的な原因はおそらく脚に水をかけてしまったことです。途中暑かったので、給水所で水を含んだスポンジを取って、水を脚にかけました。それがまずかった。そこから一気に脚が寒くなって、太腿が痙攣しました。
それと脱水。給水所で水を取るのですが、コップから水をうまく口に入れることができず、軽い脱水になっていたようです。ゴール後、一緒に参加した人(俺より先に完走)に「途中、肘も攣りました(肘って攣るんですね)。」と言ったら、「たぶんそれは脱水が原因だよ」と教えてくれました。

まぁつらかったけれど、でも不思議と楽しかったです。心から、とはいかないけれど、「あぁ生きてるな、おれ」みたいな感慨を、痙攣で辛いときに思いました。マゾか、おれは。

ポニーテールのお姉さんについていけなくて本当に悔しかったですが、次回はもっとうまく走れるよう、ちゃんと練習をして臨みたいと思います。次のフルマラソンが楽しみです。どの大会に参加するのかはまだ未定ですが。
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フルマラソンに出場します

勝田全国マラソンのフルマラソンに出場します(本当は東京マラソンに出たかったけれど、あえなく落選)。
3年前ぐらいから走っていて、昨年フルマラソンに初出場しました。
この時は、かなり周到に準備をしたけれど、走りすぎで脚故障、というかなしい状態を迎え、タイムも散々でした。でも楽しかった。走れる喜びを存分に味わうことはできました。

その時の怪我で、なかなかランニングを再開することができず、半年以上経ってようやく再開。
どこの勤務地になるのかわからない状態で、細々と走っていて、で、水戸勤務となり、今は水戸(正確には笠間市)で走っています。
走っていると言っても、やはり毎日勤務があると走る時間は限られてしまいます。自分は目がよくない(コンタクトも眼鏡も嫌い)ので、夜走るのは好きではなく、週末と夜勤明けだけのランニングです。月100kmも走れていない状態です。
ということで、今回の目標は、

  • 完走
  • できれば4時間切り

です。
あんまり走れていないので、正直言って、フルマラソンにびびっていましたが、出ると決めたからにはそれなりには準備をします。
準備をして、自分なりに後悔のないレースにしたいと思います。そして、「少なくとも最後まで歩かなかった」、と言いたいと思います。

7日に招待してもらっていたのに

id:jkondoさんに7日に招待していただいたのに、さっき招待のメールに気がつき、遅ればせながらの初投稿となりました。

遅くなってスミマセン!

URLをどうしようかちょっと悩んだ。

ダイアリーとの使い分けがどうなるのかまだよくわからないけれど、何かしらを書いていきたいと思います。

ダイアリー全然更新していないけれど...。

最後のゼミが今日終わりました

今日、引き継ぎなどをして、大学院の最後のゼミを終えました。
これぐらいの報告ならついったかなとも思いますが、ダイアリーとして残しておきたかったので、こちらに書きました。

この2年間を振り返ってみる、、と、いろいろと細々なことがあったとしか言えません。起業した!とか、宝くじに当たった!とか、ムーに投稿したら載った!とかはありません。SICPを終えたり、学会に出たり(サンライズ瀬戸という寝台列車で高知へ行った)、イギリスへ行ったり、フルマラソンを完走したり、、と大きな事はありませんが、1週間放置しておくと気になってしまう埃ぐらいのことはできたように思います。

2年間指導してくださった先生に本当にお世話になって、何にもできない自分を、すーっと、でも自分で進まなきゃ進めないように上手に引っ張ってくれたように思います。

4月からは「社会人」となるわけですが、前へ後ろへ、少し無理をしながら動いていきたいと思っています。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

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音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。

ハイル・ヒットラーってか

たぶん今年最後のブログが(ほとんど更新していない!)、ヒットラーってもなにかね、寒い冬とはいえ、ちゃんこにヒットラーを入れてしまうのはどうだろう、思ったけれど、もしかしたらいいだしがでるかもしれんと思って、書くことにしました。

「意志の勝利」を見ました。ナチのプロパガンダ映画です(正確にはナチの党大会の記録映画です)。1934年作成されたもので、パリ万博でグランプリを取りました。
監督はレニ・リーフェンシュタールという女性で、彼女はそのとき35歳でした。

意志の勝利 [DVD]

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どうしてこんなものを見たのかというと、小林秀雄全作品13の中に、「オリムピア」という評論があって、この評論は

「オリムピア」という映画を見て非常に気持ちがよかった。

という出だしで始まるもので、こんなふうに彼に気持ちよく書かせるのだから、よほどの映画なのだろう、で、その監督がリーフェンシュタールで、「意志の勝利」も”いい映画”なんだろうと思い、比較的時間に余裕のある今のうちに見てしまおうと思ったためです。

さて、この映画、プロパガンダ映画です。昭和61年生まれの自分にとっては、そもそも”プロパガンダ”という言葉になじみがありませんし、意味もわかりません。宣伝といえば何となくわかるけれど、わざわざ宣伝映画と言わずにプロパガンダ映画といっているので、これは”宣伝”ではなく”プロパガンダ”でなければならないのでしょう。プロパガンダ映画と言われたって、その言葉だけでは、なんのこっちゃわかりやしません。
冒頭、真っ暗な画面で気分を高揚させる音楽から始まります。一通り音楽を終えると簡単に、最近のドイツの説明が始まり、上空からのドイツの映像、そして到着した飛行機から出てくるヒットラー総統です。このときの熱気がすごい。これほど生き生きとした人間の顔はそう見られるものではないんじゃないでしょうか。このまえヒッキーのライブをustで見ていましたが、そのときの熱気を凌いでいるように感じます。そこには狂気があるわけです。純粋なる優秀なドイツ民族、そこへの狂気です。
まぁはっきり言ってしまえば、この映画は、それがずっと流れつづけるわけです。ヒットラー総統のもと、純粋なる優秀なドイツ民族を実現し、ドイツは強くなる、我々は闘うのだ、ヨーロッパ中に知らしめてあげよう。ずっとそれです。眠くならないのか、といえば嘘になります。途中うっつらうっつらしていました。

映画にはいくつかの集会の映像が入っています。国家労働奉仕団野外集会、突撃隊夜間集会、ヒトラーユーゲント集会...。どの集会でもヒットラーの演説と「ハイル ヒットラー(ヒットラー万歳)!、ジーク ハイル(勝利万歳)!」です。ジークって何に対して?って感じですが、とにかくジークなのです。ドイツ民族を苦しめるものにジークなのです。世界にジークなのです。ここらへんは第一次世界大戦のせいでしょう。
集会に参加している人は、もうヒットラーしか見えていません。で、集会ですが、夜の集会は、光や火の使い方がいやらしくヒットラーの存在を浮きだたせています。その撮り方も実にいやらしい。これをヒットラーを信じている青年が見たらどうだろう、きっといちころでしょう。映画を見終わって彼らが叫ぶ「ハイル ヒットラー!ジーク ハイル!」が聞こえてきそうです。そういう意味でいい映画です。
これがプロパガンダってやつですね。

クライマックスは第6回党大会の閉会式です。誰もが真剣に右手を挙げている中で、ヒットラーが入場してきて演説が始まります。
神妙な顔つきで話し始めます。...(下に演説文を載せます)
この演説、書き起こすと何を言ってるって感じですが、声と手振りに、参加者は完全に浸っています。ハイル!ハイル!と叫びながら。リトルピープル的なものを見ずにはいられないでしょう。
演説終了後、恍惚とした表情で副総統(ルドルフ・ヘス)が壇上に上がり、こう叫びます。

ハイル!
党とはヒットラー
ヒットラーはドイツ!
ドイツはヒットラー
ジーク ハイル!

と。
そのあとはナチの党歌が流れて終わりです。

この映画を見て、ドイツ国民こそがナチを動かしたのだ、と思わずにはいられません。そしてそれはどこの国でもたぶんそうです。指導者は種を見つけ、そこに種があるのを国民に教えるだけ。それを育てるのは間違いなく国民です。この映画を見れば誰だってわかります。
おぉ恐い。弱い自分もいつそこにいくのかもしれないと思うと恐い。気をつけないと。大審問官に。それと小さな声でもしっかりと外へ向けること、自分で考えること。
ところでヒットラーの顔ですが、ちょっと滑稽に見えてしまう。あの髭のせいで。それは彼の狙いだったのかもしれません。表情の柔軟さが人を惹き付けるのか。あの滑稽な顔は、演説では鬼のような顔になる。その差分が、演説をする彼に惹き付けられる何かを生み出すのかもしれません。

さて、2011年はどんな年になるんですかね、民主党さん。

ヒットラーの演説を載せます。

第6回党大会もいよいよ終幕に近づきつつある この大掛かりな大会が部外者にはどうみえたか 単なる示威運動と映ったかもしれない しかし 我々同志にとってははるかに大きな意義を持つものであった 年来の戦友や支持者が一堂に会して絆を確かめ合ったのである あるいは 諸君の中には 我らの壮大なパレードに胸躍らせながらも過ぎし日を思い出した者もいたであろう その当時 党の一員であることは危険を意味した

ここでちょっと拍手が起こります。そしてヒットラーの目つきが変わる。演説に腕の動きが加わる

わが党は わずか7名の党員で活動していた頃から 2つの原則を掲げている まずイデオロギーに基づく運動を行うこと そしてこの党がドイツにおける唯一無二の力であることだ (拍手喝采)
党としては長らく我々は少数派であった なぜなら いつの時代でも価値ある闘争をし犠牲を払うのは社会の多数派ではなく少数派であるからだ しかし 我らが党員はドイツ国において 最も優れた人々であり 自信と誇りをもってこの国の主導権を主張した 
だからこそ多数の人民がこの運動を支持し始めたのである ドイツ国民は幸せだ 政権交代の歴史がようやく終わりと告げ 今や強力な指導体制が確立されたのであるから (みんな立ち上がりナチ敬礼)
最高の血を受け継いだと自負する者たちがこの国を掌握した 国民の最大の福祉のためにその指導権を行使し 二度と手放さない覚悟である これから先も一握りの国民だけが真の闘士であり続けるだろう 彼らに課せられる要求は他の国民より はるかに大きなものとなる 
”私は信ずる”という制約は十分とは言えない 彼らのモットーは”私は闘う”である! わが党は ドイツ国民の政治理念をこれからも体現し続ける 我が党の原則は常に不変である 組織自体は鋼のように固く 構成員は柔軟で適応性に富む まさに聖なる政治集団となるだろう
我らは実現する 健全なドイツ人は国家社会主義者となり もっとも優れた者たちは国家社会主義党員となる! (ハイル!ハイル!) 
これまで時として我々の反対者たちは 我が党に圧力をかけ迫害してきた その結果党内の不要な連中を取り除いてくれた 今日望ましくない分子は我々の手で選別し 追放しなければならない 我が党に彼らの居場所はない 我らが願うのはドイツ帝国がこの先何年も続いていくことだ 我らは満ち足りた思いだ 
ドイツの未来は完全に我々の手の中にある 年長者には懐疑的なものもいるだろう だが若者たちは身も心も一途に我々に捧げているのだ! (ジークハイル!ジークハイル!) 
今や我々は一致団結して党の理念と精神を最高の形で具現化している 国家社会主義の思想と精神が実現される その時我々の党は ドイツ国民と我が帝国にとって 永久に朽ちることのない支柱となるのだ (ハーケンクロイツが映し出される) 
我が国の偉大な陸軍も重要である 古参の誇り高き国の守り手を我が党が政治的に主導する 伝統を重んじる彼らは我らに協力を申し出るだろう 共に手を携えてドイツ国民を教育し 肩の上に国家を背負い ドイツ帝国を支えるだろう 
この瞬間にも 大多数の党員たちはこの市を離れつつある この数日の思い出に浸っているかもしれない すでに次の会合の準備を始めている者もいる 人々は再び集い そして去る そのたびに深く感動し鼓舞されるだろう 我々の理念と運動は国民の意思の生きた表現であり 永遠の象徴であるからだ 国家社会主義運動 万歳! ドイツ 万歳!(全員右手を挙げながら、ハイル!) 

フルマラソン完走しました

11月28日に開催された河口湖マラソン一般男子フルマラソンに出場し、完走しました。
タイムは4時間10分ちょっと。惨敗。目標は3時間半でした。
でもすごく楽しかった。すごくつらかったけど。

3月ぐらいからこの大会に標準を合わせて(昨年同じ大会の河口湖1周(27km)に出ました)けっこう走っていて、300km/月はこなしていました。7月にはあのくそ暑い中383km走りました。
10月に出場したなるさわハーフでは93分。すこし目標より遅かったですが、この大会は登山大会のような標高差があって、あのコースでこのタイムはまぁまぁかな、と、これなら3時間半はいけるだろうと思っていました。
しかし11月に入り、急に冷えてきたからか、夏の疲れに襲われたのか、左膝外側靱帯を痛めました。これはいわゆるランナー障害と言われるものです。はじめは少し痛いぐらいだったので、痛くても走っていたら、これがだめだった、歩行すら困難になりました。特に階段の下りはきつく、一段ずつでなければ降りられない状態でした(バリアフリー大事!)。そんわけで大会前の2週間ぐらいをほとんど走れないまま大会へ。走らなくてもなかなか痛みは引かず、見送りも考えましたが、でもここまで来たんだから、と強引にスタートラインへ。走れるかなという不安と、これから走るぞ、といういい緊張で、脇から汗が..。ちなみにスタート時点の気温は5℃でした。
スタートして、はじめは痛くなかったのですが、10kmぐらいから痛みが出てきました。あと30kmあるぜ?どうするよ?と途中リタイアも考えましが、それだけは嫌だった。だったらはじめから走っていないよ。20kmあたりからは練習不足で脚が動かなくなり、さらに右膝も痛くなり、もう泣きそうになりがら走りました。走り続けました。歩いたら気がゆるんでもう走れないだろうと思ったし、村上春樹じゃないけど「少なくとも最後まで歩かなかった」と言いたかったので(特にそれを言う人はいないのですが)、走り続けました。走っている間に悟りでもひらかないかと微かな期待を抱き、おそろしく痛い膝と言うことをきかない太腿を抱えて走り続けるのは本当につらかった。でも、「俺、これを耐えなきゃ」と思いました。とにかく耐えなきゃこれから先もうなにもできなくなりそうな恐怖のようなものさえありました。30km過ぎたあたりから、給水所の少なさもあって、すごくいらいらしてしまって、交通整理をしてくれている警察官に(心のなかで)悪態をつき、残り何kmと書いてある看板につばを吐き(うそです)、富士山を呪いました(当日は快晴ですごくきれいな富士山が見えました)。結局最後まで悟りは訪れず、きっついまま、泣きそうな顔で走っていました。ゴールが見えたときはさすがにテンションがあがって、顔もしゃきっとしました。そして両手を挙げてみんなに祝福を受けながら花道をゴール!だったよかったのですが、ひとりひっそりとゴール。でもうれしかった。本当に。
ゴールしてからは大変でした。膝が曲がらない。普段の歩行なら10分で着く駐車場まで30分かけていきました。
ちなみに左膝はまだ少し痛くて練習が再開できない状態です。たぶん年内は休むかな。

目標には全く届かないタイムでしたが、とにかく最後まで歩かずに走りきりました。この体験は、本当に大きな体験で、まだ自分の中にゴールしたときのその熱がしっかりと残っています(まだ2週間も経ってないですからね)。
また挑戦したい。次こそは3時間半切りを達成したいと思います。でもけがに気をつけてね。