さかもとのブログ

つらつらと

ひかりごけ


今日自由劇場でやっている「ひかりごけ」を見てきた.

劇団四季にはキャッツを見に行ってから興味を持ち,ミュージカルではなく劇も見てみたいと思って行った.
講演期間は,一週間しかなく,今日が千秋楽だった.

ひかりごけの初演は1955年で,四季発足は1953年だから,発足当時からの劇であるといえる.
あらずじは四季サイトのひかりごけのページを読んでください.

主題としては,

  1. 極度の飢えの中で,仲間が死に,その肉を食ってまで生きるのか
  2. 仲間の肉を食ったことの罪は,どうなのか.裁判による量刑で裁くことができるのか

と行った感じ.1が第1幕で,2が第2幕である.

またセットも大変奇抜で,現代でも奇抜に見えるセットを,55年にやってしまうとは,さすが浅利大名と行った感じ.また,そのセットをつくった装置の金森馨さん,照明の吉井純雄さんもすごい感性の持ち主だと思った.

僕に特に印象的だったのは,第2幕の裁判のほうである.
本来罪の意識とは,犯罪を犯した本人が心の中に感ずるのものであって,裁判をして,量刑が決まったからといって,その罪の意識が芽生えるわけではないと思う.もちろん犯人に対して,量刑を与えることによって,社会秩序を保つという意味も理解できるので,光市母子殺害事件のような場合の死刑は賛成である.
また,検事,弁護士,裁判官は所詮他人である.罪を犯したものの苦しみ,罪の意識(あるとすればだが)はこの人たちには絶対にわからない.検事「極悪非道の犯罪である」,弁護士「犯人は罪の意識を持っているし,あの状況では仕方なかったのだ」,裁判官「被告人は言葉を謹みなさい」...

裁判員制度が導入され,今度は僕らが犯罪者を裁くことになる.何のために彼らを裁くのか.一番は社会のためか.大量殺人者が街をのさぼり歩いていたら自分も殺されるかもしれない.最近は死刑になりたいからという意味不明なことばで,殺人をするやつもいるので,裁く前から危険ではあるが.

とにかく,罪というものを考えさせる舞台であった.また,テレビドラマのような薄っぺらい日常の模写ではなく,劇を見ることができてよかった.